日本全国の展覧会情報を網羅しながら、注目の若手アーティストや気鋭のギャラリストをいち早く紹介し続ける、美術ファンにもお馴染みの情報源と言えば、『美術手帖(以下BT) 』 に付属する小冊子『ART NAVI』だろう(フリーペーパーとして都内ギャラリーなどでも無料配布)。新旧の交替いちじるしい美術業界の中で、「新しいことや面白いことをやろうと思うなら、一番必要なのは継続すること」と語るのは、『ART NAVI』の執筆と編集を行っている島貫泰介。膨大な情報量を扱いながら、同時に読者にとって親しみやすいコンパクトな誌面を届けたいというライター哲学、現在の仕事に就くまでの経緯、そして今後注目のアーティストや展覧会など、美術業界の今とこれからを聞いた。
※今回の記事は前編、後編の2回に分けての更新になります。
脇屋:MAD受講のきっかけを教えてください
島貫:そこに至るまでちょっと話が長くなるんですが(笑)。僕は武蔵野美術大学の映像学科で写真の勉強をしていたんですね。卒業した後は漠然とアーティストになることを夢見つつ、縁のあった広告写真の制作会社でカメラマンアシスタントのアルバイトをしていました。かなり規模の大きな会社で、予算のあるコマーシャルの仕事にもかかわることができてとても勉強になったのですが、かっこいいもの、美しいものを撮ることが正しい、という雰囲気にどうしても馴染めなくて。それは、自分が好きな写真や美術とは違うものだと思ったんです。
でも、そういう迷いを抱えていると仕事のスキルが向上するわけもなくて、結局1年で辞めることになった。でもそれと同時に、自分が本当にアーティストを目指すことができる人間なのか、という疑いも感じたんですよね。アーティストとして活動をしている友人たちを見ていると、ものをつくることに対する迷いがなくて、迷いがあったとしても作品をつくっていくバイタリティーを失わずに突き進んでいる。けれども、僕には作品をつくるモチベーションが欠けていることに、あらためて気づいたんです。
会社を辞めて、でも働かないとなあ……と思っているときに、たまたま見つけたのがNTTインターコミュニケーションセンター[ICC]でのアルバイトでした。2006年に「コネクティング・ワールド」というインターネット上のアートの動向を紹介する展覧会があって、そのための監視員(ナビゲーター)を募集していたんです。ICCには、インタラクティブ系の作品が多くあるので、お客さんに操作方法を説明したり、一緒に体験してみたりする必要があるんです。つまり、一般的な監視員業務よりも来場者との積極的なコミュニケーションが求められる。それがけっこう面白くて、気づいたら2年半働いていました。それが、作品をつくるのではなく、作品について考えて、その魅力を誰かに伝えるということを意識するようになったきっかけの一つ。キュレーターという仕事に興味を持つようになったのもその頃で、ちょうどのタイミングでMADがキュレーション・プラクティスコースの応募をしていたんです。
脇屋:当時のキュレーション・プラクティスコースは、チームを組んで実際に展覧会を企画するというコースですね。どんな展示を企画されたのですか?
島貫:展覧会のDMを、作品の代わりとして展開するという内容の「DMリクリエーションプロジェクト」です。
ギャラリーやカフェにいろいろなデザインのDMが並んでいると、それ自体が目を引きますよね。それを展示空間と仮定したらどんなことが出来るだろう、というのが最初のアイディアで、そこからメンバー全員で内容をブラッシュアップしていきました。
何名か候補のアーティストを上げたなかから、詩人の松井茂さんにお願いすることにしました。DMには、情報として文字が必ず載るけれど、その文字自体が作品と捉えるのは面白いなと思った。それに印刷物は複製メディアですから、メール・アートやマルチプルにも発想がつながるだろうと。
松井さんと相談して、「個人情報」というテーマで作品を展開することに決めました。その頃は、個人情報保護法とかコンプライアンスが騒がれていた頃で、世間がプライバシーに対して神経質になりはじめていた。そういった状況のなかで個人情報をテーマに扱うのは面白いかもしれない、と思ったわけです。内容としては、松井さんが持っているアドレスの情報を、個人が特定できないギリギリのところまで削っていって、名前と謎の数列みたいな詩をつくる。それをDMに印刷して4週間にわたって送り続ける、というものでした。そして最後の5週目に、松井さんとメンバーのトークや、テーマについて書いた冊子を送って、プロジェクトの種明かしをするんです。
脇屋:アーティストを目指されていたわけですが、受講されてみて美術との関わり方に変化はありましたか?
島貫:MADに入った時点で「アーティストになる」という選択肢はなくなっていましたから、自分が何をやるべきなのか、といった葛藤は特になかったです。ただ、それまで学校の外で展示をしたことがなかったから、そこはちゃんとケリをつけたいとは思っていて、いちど友人と吉祥寺「にじ画廊」で二人展をやりました。そこで作品制作に関してはひと区切りでしたね。
やっぱり僕にとって一番大きかったのは松井さんとの出会いだと思います。ライターの仕事を最初に紹介してくれたのも松井さんでしたし、「作家が何かをつくるというのは、こういうことなんだよ」ということを言葉ではなく体感として実感できたのが大きかった。
脇屋:これまでインタビューをしたなかで、MADでの収穫に「人との出会い」を挙げる方が多かったのですが、その辺はいかがですか?
島貫:メンバーとの集団作業は面白かったですし、さっき言ったように松井さんとの出会いが大きかったです。でも、僕自身がいろいろな人と積極的に仲良くなりたいと思うタイプの人間ではないので(笑)、いわゆるネットワーキングとか人脈という点で、AITやMADがプラスだったとは感じません。でも、授業に出ているといろんな人の話を聞く機会がありますよね。それが面白かった。特に森美術館館長の南條史生さんがゲストの回は印象に残っています。東アジアをめぐるコンテンポラリーアートの状況というテーマで「中国のアートバブルの次はインドだけど、今はもうインドもやりつくされている。だから次は中近東だよ」と話されていて、「へえ、そうなんだ」なんて当時は漠然と思っていましたけど、それが去年(2012年)開催された「アラブ・エクスプレス展:アラブ美術の今を知る」につながったことを思うと、数年がかりで企画をかたちにしていく美術館の仕事のスケール感を実感できますよね。
ターレク・アル・グセイン「Dシリーズ」(1点 )/「DIIシリーズ」(8点)
制作年:2008-09年 / Courtesy: The Third Line, Dubai, UAE / 所蔵:シャルジャ芸術財団、アラブ首長国連邦
撮影:木奥恵三 写真提供:森美術館
脇屋:MAD修了から現在のお仕事に就かれるまでの経緯、また現在のお仕事について教えて下さい。
島貫:写真の仕事を辞めた時点で、美術を仕事にしようとは決意していました。アーティストになる以外で美術を仕事にするとしたら、まず最低限必要になるのは文章力だろうと。キュレーターになるにせよ、編集者・ライターになるにせよ。そこで短くてもいいから一日に必ずひとつは文章をアップするというルールを自分に課して、ブログを始めたんです。展覧会、映画、漫画、アニメ、ゲーム……とにかく何かしら書いていました。それを半年くらい続けていた時に、また松井さんからアートライターの藤田千彩さんを紹介してもらって、彼女が主宰する「PEELER」というWebサイトに文章を書かせてもらったんです。武蔵野美術大学の助手展についての展評を書かせてもらって、それがライターっぽい仕事の最初ですね。
それと、ちょうど同じ頃に、BTが「アートの仕事」(2009年2月号)という特集号を発売していて、そのなかでライター募集の告知があったんです。それに応募したのが現在の『ART NAVI』を始めるきっかけです。採用面接の時に資料を持ってきてくださいと言われて、MADでのプロジェクトや、ブログで書いていた文章を持っていったら、めでたく採用が決まった。後々聞くと、ライターだけではなくて、批評とかいろいろなことをやりたい人なんだな……と思ってもらえたのが良かったらしいです。
松井さんとの出会い、ブログ、BTがライター募集をしていたこと。いろいろな偶然や幸運が重なって、今の道が開けたという感じですね。お金をもらって文章を書くライターとしてのデビューが『ART NAVI』だったことも本当に幸運で、一冊すべての執筆と編集を担当するので、生活するにはまあ困らない程度のギャランティーをもらうことができた。おそらくほとんどのライターは、別に仕事を持ちながらセカンドワーク的にライティングの仕事をしていくことからキャリアをスタートさせていく感じだと思うんですが、最初から執筆・編集の仕事に集中できたのは大きかったですね。
脇屋:膨大な展覧会情報のなかから、『ART NAVI』に掲載する情報を選ぶ際のポイントや、注目のアーティストにインタビューされているページ「MEETING THE ARTIST」の取材対象を選ぶ基準があれば教えて下さい。
島貫:『ART NAVI』では、1ヶ月に約120件の展覧会情報を載せているのですが、主要ギャラリーでの展示や、美術館で行われるような話題の展覧会を掲載するだけでも、誌面のほとんどが埋まってしまいます。でも、同じ場所ばかり紹介していては誌面が硬直化してしまう。なので、ある程度は、これまで紹介されてこなかったギャラリーや若い作家、ちょっと面白そうな企画展については意識的に選んで紹介するようにしています。その一方、情報誌としての役割を考えると、読者が「この展示は見に行きたい」とか「この展覧会が掲載されているのは納得できる」と思えるものがラインナップされていることも必要になってきますから、バランスは考えます。それから、若手アーティストにインタビューする連載があったりもするので、そこでは知名度が低くともこれからが期待される人を取り上げています。
左:『美術手帖』2009年2月号表紙
真中:『美術手帖』『ART NAVI』MEETING ARTIST 2013年6月号
右:「現代アジアの作家 もっと自由に!ーガンゴー・ヴィレッジと1980年代・ミャンマーの実験美術」2012年12月13日~2013年3月19日(福岡アジア美術館)展覧会広報物
脇屋:プレスリリースの情報だけだと、まだ始まっていない展覧会の記事を書かなければならない難しさもあると思いますが、どのように書かれているのでしょう?
島貫:情報を集める段階で具体的な展示内容が決まってないことも多くあるので、そういう時は各ギャラリーや美術館に直接問い合わせるなどして、問題ない範囲の情報を掲載します。毎回『ART NAVI』の記事を書くのは、展覧会開催の1ヶ月から2ヶ月前になります。個展であれば自分で作家の過去の活動資料を探して紹介文を書くことができますが、グループ展の場合は、展覧会全体の軸になるようなコンセプトが明文化されていないことも多いので、大変です。そのような場合には担当学芸員の方から詳しい話を聞くようにしています。
例えば、2012年12月に、ミャンマーの現代美術の前衛アーティストグループを紹介する展覧会「現代アジアの作家 もっと自由に!―― ガンゴー・ヴィレッジと1980年代・ミャンマーの実験美術」が福岡アジア美術館で開催された時のことです。このアーティストグループは、ミャンマー以外での展示歴がないためにインターネット上にも情報がほとんどなく、もちろん日本語の資料も存在しない。なので、その際は担当学芸員に電話取材をして、紹介記事を書きました。(後編につづく)
後編では、島貫さんのライター哲学や幅広いお仕事のこと、今注目すべき展覧会やアーティストなどについてもお話を伺いました。後編をよむ
島貫泰介 (しまぬき たいすけ)
1980年生まれ。美術ライター/編集者。 |