Vol.8「いろんな意味で広がりを持っていたい」

橋本 誠さん(アート・ プロデューサー)
2004年度MADキュレーション修了

 

聞き手:脇屋 佐起子
2010年度MADキュラトリアルスタディーズ修了


会えばいつもニコニコと温和な笑顔で、やわらかい語り口の好青年という印象が、出会った当初から全く変わらない。とにかく幅広い場所で見かけるフットワークの軽さとバイタリティー、ある時は行政の仕事をしているかと思えば、同時に民間のプロジェクトも手掛けていたりする守備範囲の広さ。そのうえ、肩書きを聞けば、聞き慣れないアートプロデューサーという。橋本さんを知る人は「結局のところ、橋本さんって何をしている人なんだっけ?」と煙にまかれている人も少なくないのではないだろうか。ご他聞にもれず、筆者もそのひとりだった。その謎をついに解いてみたくなり、今回のインタビューに至った。現代美術との出会い、これまでに仕事を行ってきた行政と民間のそれぞれの特徴、後 進を積極的に育てようとする動機や、新しく立ち上げたというアートプロジェクト情報をまとめたウェブサイトのこと、これまで多角的に美術と関わって来た橋本誠に、その軌跡と展望を聞いた。

 

美術に関わることになった経緯を教えて下さい。

 

椿昇+室井尚《 The Insect World – 飛蝗 》

橋本:横浜国立大学の教育人間学部マルチメディア文化課程というところで、文化・教養・情報を総合的に学んでいたのですが、そこに美術系の先生もいました。後に恩師となる室井尚という美学者が、第1回の横浜トリエンナーレ2001(以下横トリ)でアーティストの椿昇と組んで、ホテルの外壁に巨大なバッタをつけるという作品を企画していて、在学中に、主に記録映像を撮る役回りで現場に入ったのが、最初の現代美術との出会いです。当時は映像とか、映画の道を志していたので美術館に行くこともほとんどなかったと思います。

 

そこからどんな経緯でMADに通うことになったのでしょうか?

 

橋本:横トリの時にキュレーターという仕事があることを知り、興味を持ちました。ただ、そのためにどういった知識が必要なのかもわからないし、大学には学べる環境もありませんでした。そこで、ボランティアやアルバイトでアートの現場に関わりながら、美大の大学院を探して進学浪人をしていた頃にちょうどいいと思って通っていたのがMADです。キュレーションも学べるし、当時はナンジョウアンドアソシエイツのライブラリで授業をしていたので色んな資料も読めそうだし、自分が求めていた環境がありそうだと思ったのです。最後に企画書を完成させるまでが一連の授業だったんですけど、実は最後のほうは授業に出られずに終えた不良学生なんですよね。

 

え?フェードアウトしちゃったんですか?

 

橋本:と言っても実は自分で企画できる環境ができてしまったがために忙しくなってしまったという感じで、節目では企画内容も見てもらうなどしていました。それに、大学生のインプット力では足りないこと、世の中で起こって来たことや今起きていることなど、MADでいろいろ教えてもらったことが非常に自分の思考力を鍛えてくれたと思います。例えばロジャーさんや慶介さんは、いわゆるホワイトキューブで一定期間行うような展覧会だけでなく、他にもやり方があるということを言っていました。大事なのは、何を伝えたいのか、どんな表現を生み出すかであって、考え方はひとつではないと教えてもらうことで、自分の頭が柔らかくなりました。その頃は、自分で隙間を見つけて企画を仕掛けようとすることが多かったのですが、MADは、そのスタンスでいいんだと思える場所でした。まわりには、私と同じようにアートの現場でできることを探している、熱量の高い人が多く、彼らは今も美術業界で活躍していたりして、のちに一緒に仕事をしたこともありました。彼らとのつながりは財産です。

 

以前インタビューさせて頂いた市川靖子さんもMADの同期ですよね。

 

Tokyo Art Beatサイトページ

橋本:そうですね。あとは、藤高晃右さんとの出会いも大きかったです。出会った当時、自分がなぜか携帯電話関係の展覧会を手伝っていたので、当時、携帯会社に勤めていた藤高さんと話が盛り上がったのがはじまりです。また、その後ITベンチャーの会社で働いていたりもしたので、藤高さんが立ち上げたTokyo Art Beat(以下TAB)の可能性に非常に共感して応援していたり、そのうちレビューページができたので記事を書かせてもらうようになったり、それがきっかけになって執筆の依頼や企画の仕事につながったりと、美術で食べられるようになるまでの活動のフィールドとしても大きな存在でした。それから、アーティストコースに通っていた水越香重子さんたちと一緒に、森下にあるベニサンピットという稽古場で展覧会を行ったこともありました。「面白いかたちで活動発表のための場所を作りたい」という共通の思いを持っていたから、それを手伝うかたちですね。

 

それが、授業をフェードアウトすることになってしまった企画ですか?

 

「Reading Room」

橋本:その後の企画ですね。MADと並行して進めていたのは、2005年の2月から3月にかけて行った展覧会「Reading Room」というものです。幸運にも、BankART Studio NYK(以下BankART)のこけら落としとして行われた「食と現代美術 vol.1」と共催のかたちで行うことができました。BankARTとしては全館展示を行いたいけれど、移設後の施設改修もあってコンテンツまでは手がまわらなかったところにたまたま企画を持ち込んだのがきっかけですが、先方と近いテーマと思ってもらえたのか、一緒に行うことができました。想定していた時期よりも前倒しで大変でしたが、自分の名義で行えたという点においてもよい機会でした。

 

それはグループ展ですか?

 

「都市との対話」

橋本:他にも「Evolution Cafe」というデジタルアートとカフェをテーマにした共催企画があり、それも並行するかたちでBankARTは「生活とアート」というフレームで考えていたようです。今はnumabooksとして活動するブック・ コーディネイターの内沼晋太郎さんが所属していたbook pick orchestraや、その後黄金町などで活動することになる美術家の竹本真紀さん、他にも大久保亜夜子さん、東野哲史さん、酒井翠さん、川崎昌平さんなど。展示場所は、図書室や事務室などの使いにくい部屋や隙間を選んで、こじんまりとやりました。一方、MADの授業は「企画書を書いてみよう!」という時期だったけれど、僕は実際に展示が決まっていたから企画書もあったし、「費用はどうするの?」と突っ込まれては「入場料が一部もらえるらしいです」とか答えてました。いきなり実地だから今思えば恐ろしいですが、広報などの全体的なことはBankARTがやってくれる部分に頼って何とかなったのだと思います。それでも内容を評価してもらえたのか、BankART代表の池田修さんにも「いつでもまた企画持ってきなよ」と言ってもらえたのはうれしかったですね。当時の横浜には使いやすいスペースがたくさんあったので、スクリーニングや小さな展示を企画したり、時々は文章の仕事を頂いたりしながら、経験を積みつつ企画を練り、2年後の2007年に「都市との対話」という展覧会をまたやらせていただくことになりました。

 
その頃からフリーで美術のお仕事を?
 

橋本:幸運にも、最初から自分で展覧会を企画できたので、仕事とは言えないまでもフリーで活動していたという状態です。フルタイムで仕事をしていた時期には、負担にならない範囲で自腹も切ったり、仕事が終わってから企画書を書いたり。一番働いていましたね。次は自分が納得のいくかたちで、自力で展覧会をやりたいという思いが強くて、何ができるだろうと考えながら、とにかく次につなげることを意識して活動していました。それが徐々にフルタイムでの仕事に移行していきます。

 
アートプロジェクトに関わるきっかけはどんなものだったのでしょう?
 

KOTOBUKIクリエイティブアクション
曽谷朝絵《Splash》

橋本:リーマンショック前くらいから、商業施設の空きスペースやカフェで展示してほしいとか、パブリックアートの設置やワークショップをして欲しいといったような依頼が増えていきました。アサヒ・アート・フェスティバルのように、アートがホワイトキューブにとどまらず、今までにない領域に広がり始めた時期でもありましたね。そういう領域にこそ自分を生かせる場があると肌で感じるようになりました。ある時から美術館の学芸員や立派な芸術祭のディレクターという選択肢よりも、まちのなかに出て行く、社会に関わるようなフィールドの方が自分の活動できる場も多そうだと思うようになりました。「都市との対話」展でもまちなかで活動している人をトークゲストに呼んだり、横浜都心部の「創造界隈」と呼ばれるエリアでツアーもやりました。この展覧会は神戸のアートビレッジセンターに巡回させたのですが、そこは同じ通りに競艇の船券売り場がある複合施設で、アート関係の人だけではなく、競艇に来るおじさんとか、ダンスを練習しに来るギャルとかも来る。無料なのもあって、いろんな人が入ってくる。そういう人たちの反応が、いわゆるアート好きの人たちと全然違う。絵に平気で触ろうとしてしまったり。でもその素直な反応が面白いと思ったし、それまでは作品を見せる相手をあまり意識したことがなかったので、まちに出て行くということは、こういうことなのかと思いました。そして実際に都市のなかに出て行きたくなって、今も続けている「KOTOBUKIクリエイティブアクション」という活動を始めます。その場所で、どういう仕掛けでやれば企画がかたちになるのか、予算はどうしたらいいのか、まるで初めての展覧会のようにわからないことばかりのなか、場が面白そうということでコミットしてくる人がすごく多かった。だから、自分が企画をしっかりと立ててうまく進めていくというより、アーティストやそれ以外の人のアイディアで企画を生み出したり、自分がやろうとしていたことが、他者との関係で化学反応を起こして変わって行くプロセスを面白いと思うようになりました。まちに出て行くことそのものより、いろいろな人や分野に関わることや、届ける相手をアートファンに限定せずに視野を広げることが、自分にとっても面白い分野なのだということに気づきました。

 
キュレーターよりコーディネーターのような、つなげる仕事のほうが向いていると?
 

橋本:自分が実際にやってきたのは、そういう仕事が多いと思います。先鋭的な企画が沸くアーティスト肌というよりは、何でも無難にこなすけど突き抜けないタイプ。それでも仕事の中に調整業務の「美」みたいなものを見出している部分もあります。無難に進んでいくプロジェクトもあれば、化学反応を起こして変なことになっていくこともあるから、それを影でうまく操るみたいな。そういう楽しさを味わい続けるうちに、やめられなくなってしまいました。

 
行政と民間のどちらともお仕事をされていますが、その違いを感じることはありますか?
 

橋本:やはり違いますね。ただ民間の仕事といっても、単純なクライアント仕事だとも限りません。民間からの資金に頼るだけではないアイディアも入れて企画を軌道修正して、助成金を取ることもあります。例えば、寿町は簡易宿泊所のまちですが、最近は安宿のまちになっていて、そのオーナーから「予算も少し用意するから作品を部屋に展示するアートルームをつくってほしい」というオファーがありました。もちろんありがたい話で、僕らの活動を支援したいという思いもあったと思いますが、オーナーとしては折角やるなら集客につなげたいという狙いもあると思ったので、その予算に100%頼ってしまうのはクライアント仕事になってしまい正直少々危ないと思いました。そこで、ちょうど横トリの年(2011年)だったし、横浜市の助成金を取って抱き合わせでやれば、こんな感じでできますとプレゼンして取り組みました。結果としてメディアにはかなり露出できましたが、それがすぐに集客に直結するわけでもありませんでした。オーナーからの予算のみでそれをやっていたら、その結果に納得してもらえなかったかもしれません。

 
逆に民間だからできることもあるんでしょうか?
 

橋本:どちらにも長短はあると思います。特に文化行政は、物を売る分野にはうまく接点を持てずにいて、例えばアートフェアの支援のようなことはなかなか難しい。むしろ開催エリアの民間企業などを巻き込んで盛り上げる方が話が早かったり、効果的だったりします。最初は行政に直接縁のない活動が多かったのですが、一転して東京文化発信プロジェクトという、東京都の文化事業分野の立ち上げから3年間働いて、今もその関連の仕事を多く手がけています。様々なかたちで働いてみて思うのは、行政でなくてはできないことがある一方で、行政だけではできないこともあるなと思うし、そんななかで出てきた芽を育てていくことや、地域をまたぐことが難しい。こうして得てきた感覚や、行政の事業を進めていく上で必要な知識を生かしながら、自分ならではの仕事ができるんじゃないかと思ってフリーに戻りました。

 
後継者の育成にも意識を向けていらっしゃる印象があるのですが、なにか背景や期待があるのでしょうか?
 

Tokyo Art Research Lab ロゴ

Tokyo Art Research Lab 会場風景

橋本:定期的に個人でインターンを取ったり、関わっているTokyo Art Research Labでも人材育成をうたっているから、そういう印象はあるでしょうね。実際には幾つか理由があって、ひとつには同じように自分自身が育ててもらってきたということがあります。フリーになるまでの移行期間に、あるディレクターの方が、「自分が最終的な責任を持つから、商業施設のコーディネートをやらないか」と言ってくれて。その人の世代には予算的にきつい仕事でも、若い世代にとっては充分仕事になるだろうからとクライアントにもきちんと話を通してくれていました。チャンスを頂きながらニーズに応え、それが収入になるという体験が大きかったので、自分が逆の立場になったら、ボランティアでもアルバイトでも、本気が見えたり面白そうな人に同じように機会をつくりたいと思うようになりました。もうひとつの理由として、基本的にひとりではできない仕事だから、恒常的でなくても一緒に仕事をしたことのある人がたくさんいてくれないと、自分の求めるチームで動けないということがあります。育てるという感覚よりも、将来的に一緒に仕事をする可能性がある人たちと知り合っておきたいんです。将来的にその人がアート以外の仕事に就いたとしても、協賛をいただくとか敷地をお借りするとか、他の可能性だってある。だから、むしろ自分のためなのかもしれません。アートの世界が小さくとどまってしまうのは非常にもったいないことだし、いろんな意味で広がりを持っていたい。あの手この手を使って広げていかなくてはいけないと思うので、なるべくいろいろな人と一緒に仕事をしていきたいと思っています。

 
少し話が変わるかもしれませんが、最近ゲストハウスに興味を持たれているのは、何か可能性を見出されたのでしょうか?
 

橋本:地域アートプロジェクトに関わることが多くなるにつれ、都内でギャラリーを巡るような感覚で東京の外にでかけることは、自然なことになってきています。そんな時に宿を取るのに安いビジネスホテルや立派な旅館でなく、良さそうなゲストハウスが選択肢になっていきました。ゲストハウスという場所は、確かにいろんな人が来るけれど、ある意味ではとても偏ってもいます。検索サイトでは容易にみつからないところも多いですが、そこにはゲストハウスコミュニティー、またはバックパックコミュニティーと呼べるようなものが存在していて、利用者である彼らは、宿で互いに情報交換をしている。フライヤーやイベント情報が集まっているし、その地域の人も出入りしているゲストハウスやカフェがあったり。ゲストハウスにはそういうカルチャーがあることがわかって、俄然興味がでてきました。出かけた先で美術関係者や主催者に聞けば簡単に地域の情報を得ることはできますが、そこにはやはり関係者のバイアスがかかっていて、それ以外の人がそのイベントをどう見ているのかはわからない。だから、ゲストハウスのオーナーやお客さんの話を聞くことや、アート関係のフライヤーがそこでどのように扱われているのか見ておくことで、その地域でそのイベントが市民権を得ているのかを確認できるということにもなります。一方で、アート以外のイベントの話やいいゲストハウスの情報も得られるし、単純にそういうコミュニティーがすごく楽しい。もはや旅行とゲストハウスに行くことは半分趣味です。特定の面白い出会いはなくても、いろいろな情報交換が可能な、とても近い感覚を持った人たちが集まっているのではないかと思っています。

 
現在、または今後関わっていらっしゃることを伺えますか?
 

ノマドプロダクションロゴ

橋本:コーディネートや編集の仕事をしている及位友美、東京文化発信プロジェクトの人材育成事業であるTokyo Art research Lab事務局の米津いつか、それと僕の3人が中心になって、今年3月に一般社団法人ノマドプロダクションを立ち上げました。ひとりで受けるのが難しい仕事の依頼も増えてきたし、法人格でなければ受けにくい仕事があることが主な理由です。これからは、メンバーがそれぞれ取って来た仕事やそのための環境を共有しながら、フリーランスが集まるチームとして依頼に応える方法を模索しつつ、フリーランスのセーフティネットにもなるような活動をしていきたいと思っています。ここ2年くらい考えてきたことを、3人で議論を重ねながら整理するにもちょうどいい時期でした。そのなかで、アートプロジェクトに特化した媒体を実験的にやってみようということで、自主的なプロジェクトとしてウェブマガジンを始めました。

 
その媒体はどんなものですか?
 

橋本:「projectart.Jp_β」という名前なのですが、デザインも入れず、とりあえず始めましたという感じを意図的に出しています。媒体の価値自体をつくるなど、ブランディングしてくれる人と一緒につくりあげていきたいと思っています。また、ライターや編集者も必要だし、プログラマーも必要としています。予算が潤沢でないこともありますが、こんなサイトがあったらいいなという感覚を共有してくれるチームで進めたいので、まずは知り合いに声をかけて始めました。ウェブならコストを抑えて始めることができますが、その代わり続けていくことは大変なことです。それでも、当初の思いに反応してくれた人たちでサイトを育てあげていくのが一番理想的だというTABの時の感覚があるので、このかたちを取っています。とは言え完成されたチームではない。まずは情報をリリースして、それに反応してくれた人たちを巻き込むかたちでやっていこうということになりました。

 
アートプロジェクトに特化した情報サイトは少ないし、残念ながら見逃してしまうことも多いので、ニーズがありそうですね。
 

橋本:これまでアートに触れて来なかった人がアートプロジェクトを通じて出会ったり、もともと美術が好きな人たちが、もっとアートを見たいと思った時に、情報収集できる媒体がないし、むしろ自分たちが欲しているくらいです。自分のプロジェクトを宣伝したり、面白い記事があればストックしたり、紹介したいという発想からはじまって、開かれた法人のあり方として、同じ領域にいる人たちと様々なものをシェアしながらサイト運営していけたらと。この情報サイトとTokyo Art Research Labなどは、事業のジャンルもマッチしているので、両立させることで意義を育てていきたいと思っています。今後のあり方を一緒に考えて下さる方を、絶賛募集中です。

 
今注目されている分野やテーマ、作家があれば教えて下さい。
 

「パラトリエンナーレ2014」

橋本:作家を挙げるなら、現代美術作家としてはじめて出会った椿昇さんは、常に気になる存在です。寿町のプロジェクトでも御一緒させて頂いた大巻伸嗣さんも、ホワイトキューブに限らず、開かれた場所で展示する場合の人の巻き込み方がうまいし、そのスイッチが入る瞬間に興味があって、活動を追っているアーティストのひとりです。また、テーマという観点では、ドキュメンテーションディレクターというかたちで関わっている「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」ですね。障がい者といろんな分野のプロフェッショナルによるコラボレーションというかたちで、3年かけて表現を生み出す場をつくれないかというコンセプトのフェスティバルというか、アートプロジェクトです。自分は企画肌なので、プロセスや生み出す瞬間の面白さを知っている。実際に立ち会わないと見られないし、立ち会うことに価値があるのはもちろんのことですが、その瞬間をうまく残してプロセス自体を見せるとか、それを企画側に投げ返すような活動ができるのではないかと思っています。引き続き活動している寿町も福祉的な課題の多いまちだし、これからの日本が目を背けられない課題として福祉があると思うので、アートが介入することでどういうことが生まれて行くか、とても興味がある分野です。

「国東半島芸術祭」

自分が関係するもの以外では、3月にプレ事業を見てきた「国東半島芸術祭」ですね。「混浴温泉世界」などを手掛けるBEPPU PROJECTの山出淳也さんがディレクションしている、大分県豊後高田市と国東市のフェスティバルです。残すためのパブリックアートをつくって、それを少しずつ増やしていくという、今となっては少し古いモデルではありますが、なぜかすごく機能しているように見えます。仏教修行の場にアントニー・ゴームリーの鉄の彫刻を置いたりして、「修行の場に裸の彫刻を置くなんて」と反対する団体もありますが、その土地の人たちと対話を深め、議論し、その作品の設置場所も一緒に検討している。人型の彫刻が海を眺めている風景が、その土地と既に共鳴し始めていて、観光という地域性を知りに行く体験と、その彫刻の表現のどちらにも強度があって、とてもよかった。もちろん行政としては、観光につなげたいとか、移住者を増やしたいとか言われると思いますが、山出さんはその道のプロだから、結果的に実現できるかもしれない可能性も含めて、国東ならではのあり方を模索しているようです。近くの別府には若いアーティストも多いし、トレッキングの後に温泉に入って、おいしい魚や地獄蒸しを食べられる楽しみもあります。面白くなりそうな予感もあるし、国東は今年注目だと思います。

 

橋本誠 (はしもと まこと)

橋本

横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程卒業。 ギャラリー勤務を経て、2005年よりフリーのアートプロデューサーとして活動をはじめる。2009~2012年、東京文化発信プロジェクト室にて「東京アートポイント計画」の立ち上げを担当。2012年より再びフリーのアートプロデューサーとして「Tokyo Art Research Lab」事務局長/コーディネーターを務める。 主な企画に都市との対話(BankART Studio NYK/2007)、The House「気配の部屋」(日本ホームズ住宅展示場/2008)、KOTOBUKIクリエイティブアクション(横浜・寿町エリア/2008-)など。

 

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Art & Culture TRIPS

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