2017年01月31日

Vol.10「アートの経済的価値の重要性にも目を向けて」

 

広報をすること、アートプロジェクトを手伝うこと、キュレーターとしてアーティストを紹介すること、批評や紹介文を書くこと、他にも、アーティストが制作を継続することをサポートできる方法が存在する。なかでもとりわけ現実的な手段といえば、作品がコレクターや美術館に買い取られることで、アーティストの手元に活動の対価としての金銭が届き、次なる作品の糧となることだろう。ある意味では、アートの価値付けの循環が純化された場所がオークション会社ではないか。ただ、普通に生活していると、オークション会社の具体的な業務やその仕組みなどは、実際に自身がオークションに参加でもしない限り見えてこない。今回は、そのオークション会社のなかでも、誰でも一度は耳にしたことのある、あのクリスティーズでクライアント・リレーションシップ・マネージャーとして勤務されている河﨑千恵さんにお話を伺う機会を得た。MADにも留学を志す生徒が多いと聞くが、東京藝術大学や海外留学を経て現職に就くまでの彼女の幅広い経験は、そのヒントをもたらしてくれるだろう。

 

留学から帰国後、ギャラリーや国際展の実行委員会を経て、現在クリスティーズに勤務されていますが、オークション会社で働く動機は何だったのですか?

 

河崎:いろいろな経験をさせていただくなかで、日本の現代アートのマーケットが国の経済規模に比してあまりにも小さいという状況を改善しないと、なかなかその先に進めないと痛感するようになりました。マーケットの活性化や拡大などに、オークション会社が関われる役割は大きいと思います。アート作品に経済的価値が付くことは、現実的にとても大切なことです。オークションはセカンダリーマーケットなので、売買された作品の売り上げがアーティストの手元に直接入るわけではありませんが(EU諸国等ではアーティストにも一定のロイヤリティが還元されるアーティスト・リセール・ライトという取り決めがあります)、オークションでの価格はプライマリー価格に影響しますし、セカンダリーでも流通するということは、その作品の価値に対する裏付けにもなります。日本のアーティストを海外に紹介していくのにも、マーケットが関われる部分は多いのではないかと思っています。

 

河崎さんの肩書である「クライアント・リレーションシップ・マネージャー」とは、具体的にはどんなお仕事なのでしょうか?

 

河崎:クリスティーズは現在、世界32カ国53都市にオフィスを持っており、そのうち12都市でオークションを行っています。アジア圏でオークションが行われているのは、香港と上海で、東京では行われていません。ただ、様々な分野で美術品を出品したり落札したりするお客様がいらっしゃるので、東京オフィスはその窓口ということになります。日本からの参加が多いのは、香港、ニューヨーク、ロンドン会場です。私は、現代アートと印象派・近代絵画の分野の担当をしています。海外のスペシャリスト(各分野の専門家)と連携しながら、該当するオークションやエスティメート(予想落札価格)をお客様にご提案し、さまざまな条件などを話し合います。年間に何回か海外からスペシャリストが来日しますので、そのタイミングで実際にお客様が所蔵されている作品を拝見したりもします。各会場でオークションが行われる少し前には、東京でハイライトのプレビューを行うこともあります。プライベートバンクやラグジュアリーブランドなどとコラボレーションしたイベントを企画したり、プライベートセールの展覧会なども開催しています。つい先日もルース・アサワの初個展を東京で開催しました。アサワは、大戦中にアメリカ西海岸の収容所で過ごした苦難を乗り越え、戦後に活躍した日系二世のアーティストです。2013年にクリスティーズニューヨークで、過去50年間に制作した作品を包括的に展示したことがきっかけとなり、再評価が進みました。今回の東京の展覧会にも多くの著名キュレーターやコレクターの方々がご来場され、大いに興味を示して下さいました。

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ルース・アサワ展「Line by Line」 展示風景 2015年10月16日‐11月6日 会場:クリスティーズ ジャパン Artwork: © Estate of Ruth Asawa. © Christie’s Images Ltd 2016

 

オークションには、誰でも参加できるのでしょうか。

 

河崎:はい、どなたでもご参加いただけます。初回参加の際には、身分証明書(法人の場合は登記簿謄本など)のご提示や銀行残高の照会などの事前登録が必要になります。銀行残高の制限には、いくら以上必要という決まった金額があるわけではなく、入札をお考えのロットに対する支払いに問題がないことを確認するためのものになります。入札は、会場、電話、書面、オンラインの4通りの方法があり、オークションの数週間前に出品作品がすべて掲載されたオークションカタログが発行されます。カタログは購読していただくか、オンラインにて無料でご覧いただくことが可能で、過去のデータもインターネットですぐに調べることができます。ギャラリー巡りをする時間の無い方でも、評価がある程度定まった作品をオークションカタログで一覧できるので、意外と入りやすいと思います。オークションは需要と供給によって価格が決まる分かり易いシステムでもあります。

 

Christie’s Images Ltd 2016

Christie’s Images Ltd 2016

オークションの前に、実際に作品を見ることもできるのでしょうか?

河崎:はい、オークション会場の現地では、オークション数日前から全出品作品が展示されます。そのすべてにエスティメートが付いていますので、ご興味のある方にとっては、美術館とはまた違った面白さがあると思います。プライベートコレクションとして長年秘蔵されており、展覧会などにも貸し出されることのなかったような作品が、オークションに出てくることもあります。そういう場合は、次の購入者が美術館でもない限り、いつその作品を観る機会があるか分かりませんから、研究者の方がプレビューに来場されることもあります。

 

Christie’s Images Ltd 2016

Christie’s Images Ltd 2016

現在の職につくまでにさまざまなご経験をされていますが、そもそもアートを学ぶきっかけは何だったのでしょうか?

 

河崎:中学生の時に、美術の先生にチケットをいただいて、学校帰りに友人と見に行った『ピカソ展』がとても衝撃的でした。その莫大なエネルギーに圧倒され、なかでも《ドラ・マールの肖像》という絵に不思議と惹かれて、我を忘れて見入ったことを覚えています。いわゆるキュビズム的な手法を用いて描かれたその絵を、本当に美しいと思った自分にも驚きました。それをきっかけに、美術をもっと知りたいと思いましたし、美術品に囲まれると心が浄化されるような感覚があって、学校帰りに一人でも美術館に行くようになりました。多感な時代を過ごす中学・高校時代の学生にとって、学校は狭い世界で、受験や部活など、とても忙しい毎日です。そんな日々で少し疲れたと感じた時に、美術館に行って癒されているような部分もあったと思います。世界は広く、歴史は長く、世の中には美しいものが溢れている。狭い世界から一歩外に出てみれば、多様なものの捉え方や価値観、評価軸があるのだと思うと、自分の周りの小さな世界で起こっていることがとても些細なことに見えて、心が軽くなりました。多くの方が美術に触れる機会を増やすことに関りたいと思うようになったのも、この頃の体験が大きいと思います。もともと何かを作ったり、調べ物をしたり、文章を書いたりすることが好きで、いろいろな人と会ったり、海外と関係を持てる仕事に就きたいと思っていたところ、学芸員という職業を知り、将来就きたいと思うようになりました。大学で美術史を学びながら、MADのキュレーションコースに通ったり、森美術館や資生堂ギャラリーでアルバイトをしたり、学内外のさまざまな研究会に参加させていただいたりしました。通っていた東京藝術大学大で同世代のアーティストと知り合えたことも、とても良い刺激になり、彼らの制作環境を整えるようなことにも関わりたいと思うようになりました。

 

MAD修了生からお話を聞くと、人脈の広がりや異業種の人々からの刺激を得たという方が多いのですが、実際にMADに通われてみていかがでしたか?

 

河崎:アート業界で実際に活躍されている方と直にお会いする機会が増え、ネットワークが飛躍的に広がったと思います。森美術館でのアルバイトも、MAD受講生に優先的に送られて来た求人メールがきっかけでした。MADの卒業プロジェクトとして提案した、社員食堂での若手アーティストの展覧会も、アルバイトをしていた森美術館や、森ビル社員の方が使う食堂で実現出来ました。また、その頃貴重なお話を聞かせていただいたMAD講師の方々や授業を通して知り合った方々と、いま一緒にお仕事ができるようになって本当に嬉しいですし、感慨深いです。

東京藝術大学卒業後、イギリスでキュレーションを勉強されたわけですね。

河崎:まずは海外に出てから日本に戻り、美術史で大学院に進むか考えようと思っていましたので、イギリスなら修士課程が1年と短い期間で履修できることも条件に合いました。また、当時文化政策や芸術・文化による都市再生、国家や都市のブランディングに興味があり、文化や観光産業での地域の活性化を試みていたイギリス北東部の街ニューカッスルで、キュレーションの勉強をするもの面白いと思い、イギリスを留学先に選びました。

 

その後、ニューヨークに渡ったわけですね。

 

河崎:イギリス留学中の最後の夏休みに、ニューヨークにあるニューミュージアムのキュレトリアル部門で、卒業必須単位のひとつでもあるインターンをする機会に恵まれました。ニューヨークでは、美術館やギャラリーの多さ、そのスケールの大きさ、アートワールド全体が繋がってダイナミックに動いていることにとても刺激を受けました。当時の日本は、長引く不景気のなかで社会全体に閉塞感が漂っていました。アートやエンターテインメントが溢れるニューヨークの街や人々の生き方に触れたことで、さまざまな生き方、多様な価値観が共存できる柔軟な社会づくりが出来れば、もっと多くの人にとって生きやすく楽しい社会になるのに、と強く思うようになりました。そんななかで、アートマネジメントに興味が本格的に移りました。海外生活にもやっと慣れてきた頃に卒業というタイミングでまだやり残した思いもあり、ニューヨークにあるコロンビア大学大学院の修士課程(アーツ・アドミニストレーション専攻)に進みました。

 

ニューヨーク留学の時には、フルブライトの奨学金を取得されたのですね?

 

河崎:フルブライトはアメリカ政府の奨学金で、授業料はもちろん、月々の生活費、保険、書籍代、フライト代などほぼ全面的にカバーされました。合格すると、大学院出願時に必要なレターもフルブライトが出してくれるので、大学院の合否自体にも大いにプラスに働いたと思います。実際に留学が決まった後は、煩雑なビザの手続きなども代行してもらえますし、アメリカ大使公邸で壮行会も催していただきました。いろいろなケースがあるようですが、私の場合は9月から授業が始まる前にカリフォルニア大学デイビス校に研修にも行かせていただきました。アメリカでフルブライターだと言うと、さまざまな場面で信頼を得ることができ、とても助けられました。

 

ニューヨークで学ばれていかがでしたか?

 

河崎:噂には聞いていましたが、アメリカの大学院は学生にたくさん勉強させます。アーツ・アドミニストレーションは教育学部のプログラムになるので美術教育はもちろん、ビジネス・スクール、ロー・スクールなどの単位が必須で、多角的、実践的に学ぶことが出来ました。グループで行う課題も多く、自分がチームにどう貢献しているかが非常に重視されました。また世界的に活躍されているアーティストのスタジオでお手伝いする機会も得て、大変多くのことを学ばせていただきました。その他にもジャパンソサエティや、チェルシーのアンドレア・ローゼン・ギャラリーでインターンをしたり、まさに生き馬の目を抜くようなアートワールドを体感できたことは本当に貴重な経験でした。今もこの頃のご縁で一緒にお仕事させていただいている方もとても多く、本当に有難いです。

 

留学での経験を経て、アートマーケットの活性化や拡大に興味を持ち、現在の職についている河﨑さんから、これからアート留学を考えている方へアドバイスをお願いします。

 

河﨑:もし迷われているなら、私は留学することをお勧めします。留学中は、学生という身分だからこそ行ける場所や、いろいろな方に出会える機会がたくさんあると思います。例えば、インターンを通して、海外のさまざまな組織の運営方法や考え方、カルチャーを知ることができました。それは帰国後、アート業界で働く上でも、とても役に立っています。また大学院では、アート以外の多岐に渡る専門分野の方々とも、学生という同じ立場で交流できて、大いに視野が広がりました。留学は大変なこともたくさんあると思いますが、それ以上に得られるものが本当に多かったと思います。留学したいという気持ちを持たれているなら、ぜひその気持ちに忠実に、頑張ってほしいなと思います。
河﨑千恵 (かわさきちえ)
コロンビア大学大学院修士課程(アーツ・アドミニストレーション)修了。現在、株式会社クリスティーズ ジャパン勤務。クライアント・リレーションシップ・マネージャーとして主に現代アートと印象派・近代絵画部門を担当。

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