2017年01月31日

Vol.6「新しい広報のかたちを探して」

市川靖子さん(PRコーディネーター)
2004年度MADキュレーション修了

 

聞き手:脇屋 佐起子
2010年度MADキュラトリアルスタディーズ修了


今回は展覧会の広報という仕事を取り上げる。とはいえ、市川靖子の仕事は、トリエンナーレやアートフェアなどの大きな展覧会から、映画やコンテンポラリーダンスのカンパニーの広報にいたるまで幅広い。それを支えているのは、一日中パソコンの前にいても飽きることがないというリサーチ能力とアンテナの広さや、彼女の行き届いた気配りであることを考えれば、フリーでも仕事が途切れないことにもうなずける。彼女が広報の仕事に就くまでの経緯から、フリーで働くということ、良きライバル関係まで、ここからはこぼれてしまった裏話も交え、気さくに語ってくれた。

1. 多摩美術大学芸術学科をご卒業されてからの経緯を教えて下さい。

市川:浮世絵を勉強したくて入ったはずの美術大学では、現代美術の授業ばかりでしたが、そこではじめて接した現代美術がとても面白くて調べているうちに、日本の画廊の歴史を研究したいと思うようになりました。卒業論文の出来に納得がいかなかったので、研究を続けるために大学院に進んだのですが、やたら時間があるのでバイトばかりして、毎月のように海外に遊びに出るようになります。大学院の入試の時、先生には画廊の研究を続けると約束して入ったのですが、修士論文では海外で出会ったパフォーミングアーツについて書いたりしていましたね。先生や後輩と展覧会を作る授業があって、その時に後輩をうまく使っていたのを見ていた作家さんに「あるギャラリーでスタッフ探しているから、市川さん行ってみない?」と薦められて面接に行き、翌日からそのギャラリーで働き始めました。大学院を卒業した後も就職先が決まっていなかったので、結局2年半いました。その間にいろいろなところに行かせてもらったり、杉本博司さん、宮島達男さん、森万里子さんなどそうそうたる方々とお仕事をさせて頂き、今でもつながりがあるのでよかったと思っていますが、かなりハードな日々でもありました。その後、文化財研究所やデザイン会社を経て、ゲーム制作会社でも働いていたのですが、お給料もいいし、スーパーフレックス制で1分でも会社にいればいいので時間もあるし、何かすることを探していた時にMADを知り通うことにしました。ギャラリーでのハードな経験から、すぐアートに戻る気はなかったけど、アートとはつながっていたいという思いがあって、その頃はMADのことを「リハビリ」と呼んでいましたね。

アートから完全には離れられなかったのですね。

市川:その時の受講生とは歳が近かったのもあって仲が良かったし、今も美術業界で頑張っている人が多いです。NY ART BEATを運営している藤高晃佑さんや、フリーでアートプロデューサーをしている橋本誠さんもいました。最後に修了発表があったのですが、ホテルの部屋を借り切って、自分が持っていた作品を展示する展覧会を企画しました。

まさに、2005年から2009年まで神楽坂アグネスホテルで行われ、市川さんも関わられていたアート@アグネスみたいですね。

市川:当時でも海外でホテルでのアートフェアは頻繁に行われていたようですが、その存在を知らなかったのです。MADのコースディレクターである小澤さんも来てくれたし、ロジャーさんは英語で記事を書いてくれました。わたしはただ単に、持っている作品を友達に自慢したかっただけでしたが、とても面白かったですね。

2. 受講されてみて、美術との関わり方に変化はありましたか?

市川:MADはアカデミックなことを教えてくれて、本当にいいリハビリになりました。最後の授業で展覧会の紹介や海外の文献を読んだりして、やっぱり美術って面白いなと思いました。意見を聞かれる機会が多いから、受け身で聞くだけでなく毎週行こうという気持ちになるし、小澤さんとロジャーさんについていくために頑張って勉強しなくちゃ!という気持ちにもなりましたね。それと本当に周りの友達がよかった。

ART FAIR TOKYO photo by Munetoshi Iwashita

MADでの収穫として人脈を挙げるかたは多いですね。具体的にその後に発展した出会いはありましたか?

市川:小澤さんは、アートフェア東京の前身であるNICAF(国際コンテンポラリーアートフェスティバル)のアートフェアの立ち上げから関わっていて、後にわたしが入ってからも、アートフェア東京の実行委員会のメンバーを務めていたし、MADで一緒だった人が事務局にいたこともあって、MADでお世話になったからこちらも恩返ししなきゃと思えるつながりがあったこともよかったですね 。

MADの授業は、大学で学ばれていた内容とは違いましたか?

市川:全然違いました。MADのほうがより実践的で、海外の情報は断然早いと思います。小澤さんもすごくフットワークが軽くて、いろいろなところから情報を取ってきては話してくれましたし、教えることの面白さをMADで知りました。教わっていた立場からすると、いわゆる学校の授業とは違ってアットホームで、最後の授業では椅子を使わずに床に座って授業したりしたのも、海外の授業みたいで居心地がよかったです。MADを修了した直後くらいだと思いますが、阿佐美(阿佐ヶ谷美術専門学校)で講義をさせてもらった時には、MADを意識して椅子無しでフランクな雰囲気を作ったりしました。

授業をなさる機会もあるんですね。内容はどんなものだったのでしょう?

市川:MADを修了した後、レントゲンヴェルケ(以下レントゲン)というギャラリーで働いていた頃のことですが、作家志望の阿佐美の学生向けに、プレゼンの仕方やどのようにギャラリーが運営されているかなどを話しました。例えばギャラリーにプレゼンする場合には、事前に電話でアポイントを取って、ファイルを持って行って、このようにプレゼンをするものだとか。「あなたはこのギャラリーに行ってみなさい」とかアドバイスもしていました。

3. そこから広報のお仕事にはどのように就かれたのですか?

ART@AGNES 2008 installation view of ARATANIURANO

市川:レントゲンを辞める時、アート@アグネスの運営を引き受けさせてもらうことにしました。何か困ったことがあった時にはレントゲン代表の池内さんに相談しながら、事務局代表としてすべての業務をこなしました。最終的にはホテル側の担当者ととても仲良くなって、終わった後にお花を頂いたりして。その時に開催してよかった、またがんばろうと思い、結果その後3回携わらせてもらいました。

一緒に働いてもらうスタッフはどのように集めたのですか?

市川:後輩や同級生など、わたしを含めて4人に手伝ってもらって運営していたのですが、当時はまだSNSもなかったので、広報といってもホームページを作ったり、ギャラリーとのやりとりくらいで、割とコンパクトにできました。レントゲンの時に知り合った多くのプレスの方たちに、情報を提供できたのは大きかったですね。このイベントで、わたしはたまたま広報に特化して、今の仕事につながりましたが、もしかしたらアート以外のイベントの事務局という仕事をしていたかもしれないとも思います。

最初は全てひとりでやっていたのが、スタッフが増えてそれぞれに得意な分野を引き受けるようになって、市川さんは「じゃあ広報引き受けます」と。

市川:たまたまJ-WAVEに知り合いがいて「ホテルでイベントがあると聞いて、面白そうだから何か一緒にやりませんか」と連絡を頂いたので、会場から生放送をしてもらったら、ホテルの外に行列がぐるりとまわるほどの集客があったことで周囲は驚いたようです。J-WAVEで土曜の昼間に放送されたことでイベントの認知度はあがったし、人脈は大切ですね。また、情熱も重要だと思います。見に来てくれる人を楽しませるという情熱も大切ですが、一緒にイベントをやる人たちへの情熱も大切です。

ヨコハマトリエンナーレ2011チラシ画像

4. 広報に特化してお仕事を始められて、今はフリーランスでお仕事をされているわけですが、お仕事はどのように得られるのでしょうか?

市川:わたしは営業活動も一切せず、人から紹介して頂いたお仕事しかしていないので特殊だと思います。例えば、ナンジョウアンドアソシエイツ(以下N&A)やアートフェア東京などとつながりを作っていますが、ひとつお仕事を頂くと、自然と次にもつながることが多いです。アート@アグネスが終わった頃、N&Aがあいちトリエンナーレ2010の広報を探していて、当時N&Aに在籍していらした方から声がかかりました。その仕事を終えると、今度はあいちで一緒に仕事をしていた金島くんから、「アートフェア東京のディレクターをすることになったんですが、一緒にやりませんか?」と連絡があってお引き受けして。その後、今度はまたN&Aからヨコハマトリエンナーレ2011のお仕事を頂くという流れになったりするわけです。

ひとつのお仕事に対しての評価があって、それが次の仕事につながっていくわけですね。

映画「Herb & Dorothy」

市川:こんなこともありました。ある友人の送別会で、あるフェアのかたと席が隣になったことがあったのですが、お互いに存在は知っていても直接の面識はなかった。その時に「広報を探しているのですが、引き受けて頂けませんか?」と聞かれて、「会期まで2ヶ月しかないので報酬は少なくて構いません、その代わりあまり効果は期待しないでください」という条件でお引き受けしました。実際に関わってみると、会期も近づいて事務局は終始ピリピリムード。かなり混乱していて大変でしたが、休日返上で働いたり、はじめて営業の電話までしました。その時のわたしの動きを見ていらした方がいまして、そのフェアが終わった時に、映画「ハーブ&ドロシー」のPRを手伝ってほしいとオファーを頂いたんです。理由を聞いたら、「あのすごい状況で頑張っていたから」と言って頂けて、その時になってやっと、やってよかったと思いましたね。以来、単発のお仕事などをご紹介して下さることもあります。美術業界は、狭い世界でまわっている感じもありますが、その分、誰かが見ていてくれているというのはありますね。

他のフリーの広報のかたは、どのようにお仕事をされているんでしょうか?

市川:フリーとしてだけでなく、会社単位のコンペに参加することもあるのですが、そんな時は近いところで活躍しているみなさんの影がちらっと見えることがあるので、戦っているところは同じだなと思います。お互いフリーで活動している分にはバッティングすることは多くないのですが、他のひとたちの動向はすごく気になりますね。

5. ご自身の性格のなかで、広報に向いていると思う部分はどこだと思いますか?

あいちトリエンナーレ2010 チラシ画像

市川:フットワークが軽いことと飲みですね。一度でも一緒に飲んだら、たとえそれが5年前でも10年前でも忘れないじゃないですか。名刺交換だけではなく、それで人脈を作りました。わたしの広報の特徴があるとすれば、作家寄りの考え方をするところかもしれません。例えば自分が広報する展覧会があるとしたら、まずは作家がどういう人か、展覧会が行われるのがどういう土地かなど、リサーチから始めます。作家とは出来るだけ仲良くなりたいと思うので、多少遠いところでも面倒くさがらずに展覧会を見に行って、ご飯を食べたり飲んだりしながらたくさん話して、作家にアドバイスすることもあります。ただ、美術だけに興味が偏ってしまうと、それ以外の情報をキャッチできなくなってしまうので、それだけでもダメなんです。展覧会が行われる土地はまずリサーチしますが、その土地の音楽イベントに行ったり、春夏秋冬で言えば春はお花見、夏は海、冬はスノボとか、美術以外にもアンテナを張っておくことも重要です。

特に強みとしてあげるとすれば?

市川:先程、フットワークの軽さと飲みとお話しましたが、加えてイベントに関わる人を巻き込むことや、あまり真面目すぎないところも強みだと思います。SNSで広報をする場合、言葉に気をつけなくちゃいけないと思いがちですが、読者に近寄るために、時には真面目に書かないようにするんです。もちろん場面を選びますが、生真面目なつぶやきだけでは面白くないですから。アートフェア東京のtwitterは、わたしがひとりでやっているのですが、フォロワーとのやりとりも結構楽しんでいます。顔の見えないフォロワーに普段は絶対に使わないような顔文字マークも使ってみたり。面白いように効果が出ますよね。また、長年広報をしているので、媒体選びは絶対に間違っていないという自信があります。わたしは10時間でも20時間でもネット見ていても苦にならないので、リサーチ能力はあるんじゃないかと。情報の先取りが出来る人も向いていると思いますが、わたしはなかなか出来ないので、情報収集が得意なブレーンに3ヶ月先の雑誌の特集をこっそり調べてもらうこともあります。

6. 広報する媒体の選び方はどのようにされるのでしょうか?

十和田奥入瀬芸術祭 photo by Kuniya Oyamada

市川:例えばこの雑誌は毎年11月にアートを特集するとか、写真特集は秋だとか、その媒体の傾向を分析していくと、どの時期にどの媒体に広報をするかというスケジュールが立てられます。同じようなリサーチは他のかたもされていると思いますが、わたしの場合は、アート以外にも幅広い人脈を意識的につくるようにしているので、さまざまなジャンルの情報を拾えるブレーンがまわりにたくさんいるんです。広報のターゲットという面では、アートフェア東京の場合は国内外のたくさんの人に知ってほしいから、プレスリリースも既存リストの全員に送りますが、例えば十和田奥入瀬芸術祭の場合は青森を中心に広報する必要があります。青森の地元メディアに挨拶に行ったり、地元のカフェなど街の中心になっている場所には、チラシを置いてくれるようにお願いしに行くなど、結構足を使います。他にも、東京から芸術祭を見に行く人を対象にプレイベントを行いましたが、これもまた有効な広報ですね。

十和田奥入瀬芸術祭 photo by Kuniya Oyamada

7. プレスリリースを書く時に気をつけていることはありますか?

市川:これもみなさん同じようにされているかもしれませんが、伝えたい情報を先に書くようにしています。参加作家、場所、会期などの重要な情報を最初に持ってこないと、読み手に最後まで読んでもらえませんから。ビジュアルも大事なので、リリースには必ずロゴを付けますし、キャッチ―な画像を添えたりして、わかりやすいように心がけます。また、なにかしら独自の印をつけておくのは効果的だと、最近気づきました。

8. 市川さんの考える理想的な広報の方法は、どのようなものですか?

市川:電話やSNSに代わる、次の新しい手法が出てくると思います。Youtubeなのか、DMや郵送物の世界なのかかわらないけれど、何かあるはずだから、20代、30代の若い人たちに、仕事として探してほしいんです。個人的には、またメールマガジンの時代に戻るんじゃないかと思います。SNSの情報はどんどん流れて行ってしまうし受け身ですが、メールの場合は来たものを自分で開くという行為が必要だから、迷惑メールじゃない限りはキャッチ―さがあれば、開いて読むじゃないですか。その新しいメールマガジンの形を考える時期ではないかと思います。例えばCINRAのメールマガジンがビジュアル的にきれいにデザインされて、ホームページを見ているみたいでわかりやすくなって、読んでいる人も結構多いので、わたしも学ぶべきところがありそうです。何が新しいのかわからないけれど、新しいことに関われたらいいなと思います。

展覧会情報はあふれているのに、自分に本当に必要な情報が入ってこないと感じます。例えば、とても広い交友関係を持つ作家がいるのですが、彼のところには大学の後輩や同級生などから、確かで近しい情報が集まっていたりするんです。親交があるくらいだから感覚も似ているのか、「この展示よかったよ」と教えてもらって見に行くと、いい展示に出会える。だから彼の動向は、わたしにとって信頼する発信源になっているのですが、このような情報のプールが生かせないものかと思います。

Noism [PLAY 2 PLAY] photo by Kishin Shinoyama

市川:わたしたち広報がいつも悩むのは、今の美術業界にはinfluencer(=影響を及ぼす人)がいないことなんです。たまに、広報のために芸能人を連れてきてほしいなどと主催者に言われてしまうのですが、美術に全くゆかりのない人を連れてきても、影響力がなかったりするわけです。最近は、日曜美術館で井浦新さんが司会されていますが、あのような文化に造詣の深い芸能人を起用するのはいい選択だと思いますね。そういうかたと一度お仕事してみたいと思いますし、井浦さんのようなかたがinfluencerになりうるかもしれません。わたしは「Noism」というダンスカンパニーの広報もしているのですが、日曜美術館に取り上げて頂いたことがありました。広報の仕事というのは、イベントの紹介だけではなく、ブランディングという要素も含まれているんです。次の新しいかたちでの広報を模索すべき段階に来たとき、展覧会やイベント、団体をただ知ってもらうだけではなく、どのような評価が伴っているのか、その価値が以前に比べて上がっているのか、というところまで考えなくてはならなくて、それには予算が必要になります。おそらく、新しい理想的な広報のかたちの基本は、充分な予算があること、メールマガジンの復活、関わる人全員がハッピーであることかもしれませんね。

日本のアートプロジェクトは人の入れ替わりが多くて、経験や評価の蓄積がないと言われます。関わる全員がハッピーであれば、その状況は少し変わりそうですね。

市川:行政の仕事の場合、担当していたかたが異動になってしまうこともあって、せっかく関係性を築いても、次の新しい担当者とイチから関係を作らなきゃいけなくなってしまうことは、本当に悩ましいことです。前回の担当者とは、苦労を乗り越えながらいい関係性を築いていたとしても、新しい担当者とは「あの時はこれが出来なかったよね」という経験値が共有できなくなってしまう。それは、大きな組織が行う日本型アートプロジェクトが損している部分だと思います。

9. 今注目している作家とか展覧会はありますか?

市川:具体的ではないかもしれませんが、骨董が面白いと思います。その時代が無ければ、今のような現代美術もないわけですし。美術館で言えば、聖徳記念絵画館は明治天皇のための絵画を集めた美術館なのですが、不思議で面白いです。作家は山本高之さんと今井俊介さん。展覧会では札幌国際芸術祭とヨコハマトリエンナーレと京都グラフィーに注目しています。

市川靖子 (いちかわ やすこ)

市川靖子

多摩美術大学大学院芸術学専攻修了。東京文化財研究所などを経てレントゲンヴェルケ勤務の後、ART@AGNESアートフェアの事務局代表を担当(2006-2009)。その後、あいちトリエンナーレ2010、アートフェア東京(2011)、ヨコハマトリエンナーレ2011などのプロジェクトで広報事務局を担当。ほか、tokyo photo(2012)、京都国際写真フェスティバル(2013)、映画『ハーブ&ドロシー 二人からの贈りもの』(2013)、十和田奥入瀬芸術祭(2013)のPRコーディネートなど。

 

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